放射性物質・空間線量率Radioactivity and Air Dose Rate

(2019年 更新)

地衣類はセシウムを捕捉しやすいと聞きましたが、どのようなメカニズムなのですか。(その1)

原子力機構と国立科学博物館は、地衣類が生成する代謝物の一部が放射性セシウムの保持に関係すると考え、福島県内で観察されるウメノキゴケやキウメノキゴケなどの地衣類が産する5つの代謝物とセシウムが作る錯体※1形成力を量子化学計算※2手法を駆使して求めることに世界で初めて成功しました。
その結果、セシウムとの錯体形成力は、体内で生成される代謝物ごとに異なることやpH環境によっても異なることが分かりました。
この結果から、地衣類は性質の異なる代謝物を適材適所で分泌させ、その保持力を向上させていることが推定されます。

※1 錯体:原子と分子や異なる分子同士が結合してできる分子の総称。
※2 量子化学計算:原子や分子に対し、その電子軌道を量子力学に従い計算する。

地衣類(キウメノキゴケ:樹幹表面の緑色の着生物)が自生している様子と地衣類内部構造の模式図

図1 地衣類(キウメノキゴケ:樹幹表面の緑色の着生物)が自生している様子と地衣類内部構造の模式図
ウメノキゴケやキウメノキゴケなどでは地衣類の体の各層にて異なる代謝物を分泌します。計算によると、上皮層※3の代謝物はアルカリ性、髄層※4の代謝物は中性で、それぞれ、セシウムを含むアルカリ金属元素※5と強い錯体形成力を示します。

※3 上皮層:地衣体の表面、菌類の細胞が圧縮されてできた保護層で、藻類層の上部に存在する(図1)。
※4 髄層:地衣体の内部で、菌糸がゆるく絡まりあってできている層(図1)。
※5 アルカリ金属元素:周期表の第1族に属する元素(水素を除く)。セシウムの他、リチウム、ナトリウム、カリウム、ルビジウム、フランシウムがある。

日本原子力研究開発機構と国立科学博物館は、地衣類が示す放射性セシウムを長期間にわたり保持する機構の解明を目的として、地衣類代謝物とセシウムの錯体形成力を調べる研究を、量子化学計算手法を用いて行いました。

地衣類とは、藻類と共生する菌類の総称で、岩の表面、樹木の幹表面(図1)、家屋の壁、コンクリートの表面等、比較的安定した場所でゆっくりと生育するユニークな生物です。地衣類には放射性セシウムを長期間にわたり保持する性質が知られており、その保持機構の解明は生物学および環境化学の一つの課題となっていました。本研究では、地衣類体内の菌類が生成する代謝物の一部が放射性セシウムを強く吸着し、錯体を形成することで長期の保持が可能になると考えました。
そこで、福島で実際に放射性セシウムを保持していると確認されたウメノキゴケ類が産生する代謝物に対し、セシウム及びアルカリ金属元素との錯体形成力を世界で初めて量子化学計算手法を適用し評価する研究を行いました。その際、室温かつ水中では、錯体の構造は一意に決まらず揺らいでしまうという性質があり、出現する複数の構造を効率良くかつ高精度に求める必要性があります。この課題に対し、2 段階に計算を分ける手法(1 段目:低精度な計算で高速に、錯体が取り得る複数の構造を取得。2 段目:1 段目で得られた複数の構造に対し、高精度計算をスーパーコンピュータで並列に計算)を適用し計算を大幅に高速化することに成功しました。その結果、膨大な時間がかかる計算がわずか数日で終えられるようになりました。この開発された手法は、地衣類代謝物だけでなく生体内に投与した薬剤(有機分子)の反応の追跡等、幅広く応用が可能です。

計算結果から、外界に近くアルカリ金属元素濃度が比較的高くなるため、アルカリ性となりやすい上皮層で産生されるアトラノリンとウスニン酸(図1右)は、アルカリ性条件でアルカリ金属元素と強い錯体形成力を示すことが分かりました。一方、髄層で産生される代謝物のレカノール酸とプロトセトラール酸(図1右)は、アルカリ金属元素濃度が低下し中性となった条件で強い錯体形成力を示すことが分かりました。
これらの結果より、地衣類の各層で産生される代謝物は、環境の違いに呼応しバランス良くセシウムを含むアルカリ金属元素を保持する能力、体内で上皮層から髄層まで広く保持できる能力を有していることが示唆されます。これまで、実験・観察による研究が困難なため、地衣類体内のどこに放射性セシウムが保持されるのか、また、どの代謝物が放射性セシウムの保持に関与するのかという疑問が残されていました。しかし、本研究により、初めて複数の代謝物が環境の変化に応じて錯体形成に関与するというメカニズムが明らかにされたと考えています。